八重山の祭


旧暦8月8-10日

国指定重要無形民俗文化財(昭和51年5月4日指定)

本来の名称は「八月御願」と称されている。
「八月御願」は、1637年、宮古・八重山に実施された人頭税の納税義務を
果たした旧暦7月の翌八月、皆納の報告と1年間の五穀豊穣を感謝し、
また来年の豊作を祈願したことに始まったと考えられる。
それに踊りが加わり、今日に至った。

◆多良間村教育委員会発行「たらましまの八月おどり」から◆



八月踊りは、仲筋・塩川の集落が別々に企画運営し、各字長の主宰になります。
1日目、舞台は仲筋の「土原御願所」、「偕楽」の額がかかげられます。



2日目、舞台は塩川の「ピトゥマタ御願所」、「歓楽之」の額がかかげられます。
3日目はそれぞれの字に分かれて、1日目・2日目の演目を演じます。


仲筋の組踊りは「忠臣仲宗根豊見親」、塩川の組踊りは「忠臣組(忠臣身替)」。
組踊りはメインの演目です。歴史や方言をご存知の方なら理解できますが、
眠くなりそうな方はこの間に島内散策という手もあります。
組踊りはおよそ2時間かかりますし、この間の食事は厳禁ですので。

組踊りに費やす時間とエネルギーも、多良間島ならではですが、
多良間島の踊りの特徴は足運び。これは他の地域には見られません。
按司などの男役の動きもかなり大きく、奇声を発する棒術も独特です。

いずれにしても、首里風ではなく、八重山風でもなく、必見の価値ありですので、
専門家のご意見はともかく、機会があれば是非! 海もキレイです。

15世紀後半の古琉球期の先島には、海と島々のネットワークが出来上がっていたそうです。森や水田のない島々は西表島に米や材木を求めていました。極悪非道と伝わる人頭税以前から、実は人々は海を渡って活発な交易をしていたことになります。
多良間島は西表島や伊良部島に材木を求めていたようです。
考文献:「近世八重山の民衆生活史」石西礁湖をめぐる海と島々のネットワーク
得能嘉美著 榕樹書林 2007年1月発行


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