ソテツ地獄

第一次大戦後の戦後恐慌期から世界大恐慌期の慢性的不況下における沖縄経済、および県民生活の

極度の窮迫状況を意味する用語。米はおろか芋さえも口にできずに、野生のソテツの実や幹

(不味いうえに猛烈な毒性があり、調理をあやまると死を招く危険もある)を食べて、

ようやくにして飢えをしのぐといった悲惨な窮状をたとえてこう呼んだ。(沖縄大百科事典より抜粋)

慶良間や久米島では17世紀頃の文献に、救荒植物としてすでに食されていたことが書かれており、

少なくとも18世紀初めには食用化されていたと思われる。

蔡温によって出された「農務帳」によって各地にその栽培と調理法が広められ、

凶作時の救荒植物として、畑地に適さない荒地に栽培するよう奨励された。

「八重山島年来紀」によれば、宮古・八重山でソテツが食用化されたのは18世紀半ば以降であり、

この時期は異常気象による大飢饉が全国的に頻発した。有毒植物のソテツの食用化は、こうした

切羽詰った状況下で生み出され、その後の農村ではほとんど常食化された。

ソテツ地獄という言葉が生まれた大正期から昭和期の大恐慌や、

沖縄戦による食糧難のときも、沖縄住民はソテツに助けられた。

なお、ソテツ地獄によって押し出された沖縄からの海外移民は年間四千人を超え、

本土への出稼ぎは年間二万人を超えた。(高等学校 琉球・沖縄史より抜粋)

粟国島のソテツ味噌。やはりクセモノですから、普通の味噌のように使うわけにはいきませんが、ちょっと混ぜるとイケます。積極的にはお勧めしませんが、何でも試してみたい方にはいいかと思います。少しは先人たちの苦労がわかるかも知れませんし。