| 波照間島の島立て 波照間島 |
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その昔、波照間島に火の雨が降りました。人々は皆死に絶えてしまいましたが、ミスクバルの海の岩のガマに隠れていた兄妹が 生き残りました。ふたりはやがて成長し夫婦になりました。最初に生まれた子供はボーズというきれいな毒魚だったので、 こんなガマでは子供が育たないからこのような姿に生まれたのだろうと、ふたりはガマから浜に上がってきました。 しかし次に生まれた子供はムカデでした。ボーズもムカデも人を刺すのでこれは大変と、ふたりはもっと上の田のほうへ 上がってきました。そこでス(巣)を作りシラ(産褥)を用意して生んだところ、はじめて人間の女の子が生まれ、アラマリ(新生り)と 名付けました。そこが阿底御岳と宗家の保田盛家のある場所です。家を建てたふたりに次は男の子が生まれ、 カナと名付けました。そしてカナとアラマリが夫婦になり、波照間島の島人の先祖になりました。 |
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阿底御岳はアラマリを祀り、宗家はカナを祀るという伝えもあり、アラマリの墓は今も石だけが残っています。 旧暦6月に行われるプール(豊年祭)は、島の先祖の祭りであるといいます。阿底御岳に仕える女たちが、 兄妹が火の雨を逃れたというミスクへ神を迎えに行きます。このとき、保田盛家の主は米と粟の供物を作り、 船でバルシヌフツ(西海の割れ目のところ)へ行き、祈願して海に供物を捧げてきます。ずっと昔に、保田盛家の先祖が バルシヌフツで漁をしていたところ網に稲と粟がかかり、その稲をフトーマス(田)・粟をナーマス(田)に植えたのが 波照間島の稲と粟の始まりです。それ以来、宗家の主がフトーマスとナーマスに稲と粟を栽培し、祭りを行うことになっています。 |
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夏には賑わうニシハマのすぐ上にミスクバルの集落跡はあります。 歴史学や民俗学などの専門家から見れば、かつて栄えた中世の集落跡が 現在に至るまで多く残る波照間島や竹富島は、まったくもって驚異の島なのだそうです。 |