★ 泡盛「南雪」誕生物語──覚えていますか?冷害で米が大被害を受けた1993年
タイ米が緊急輸入され、美味しいの不味いのと、分をわきまえない発言が日本全国を駆け巡りました。
タイ米を美味しく食べる料理番組なんかが、やたらTVに流れているのを見ながら、
国民の危機を救ったタイ米の評価の低さに、半ば怒りを覚えたものです。
でもね、あの騒動がなかったら、「南雪」は存在しないのですよ。これは、岩手県の米を石垣島で作ったというお話です。

●種籾がない!
冷害で全国的に米が大被害を受けた1993年、岩手県は戦後最悪の凶作でほとんど米がとれず、
翌年の米を作るための種籾すら確保できませんでした。近隣の各県も北海道も同じ状況で、分けてもらえる余裕などありません。
かと言って、暖かい地方の種籾は寒い岩手で育つ品種ではなく、岩手は青くなりました。岩手の米の存亡の危機です。
頭を抱えていた1993年秋、岩手農業試験場に、「寒さに強い新品種」の種籾が少量だが存在している、という知らせが入りました。
その新品種の種籾を増やして農家に配れないだろうか。しかし、岩手の田植えの6月までは、あと半年しかない・・・。
それ迄に少量しかない種籾を育て、収穫し、大量の種籾を確保して県内の農家に配る。
無理だ、と岩手は再び頭を抱えてしまいました。
●石垣で岩手の米を作る!
その時、農政部長の高橋氏が言いました。「沖縄は1月と8月に田植えをする二期作のはずだ。
1月に植えてもらえれば岩手の田植えの6月までには収穫できる。沖縄に頼んでみたらどうだろうか」と。
交渉の結果、石垣市が快諾。な、なんと、島の一番よい田圃50ヘクタールを岩手の為に提供しました。
これは島の水田の1/5に当たる面積なのですよ。いやはや、びっくりですねぇ。
そして12月、岩手からの責任者・菅原氏が石垣島に飛び、岩手34号は石垣で作られることになったわけです。
そこからがまた大変だったようで、失敗の許されない悲壮感漂う岩手の菅原氏の使命はどこ吹く風の、大らかな石垣農家。
米に対する姿勢も違うし、寒い国と暖かい国の気質も違う。さらに肥料や農薬の使い方も随分と違ったようで、
岩手の菅原氏は根気よく指導し、協力体制を築き上げたようです。
その間、大風やら不稔など幾多のトラブルを乗り越えて、待望の出穂が4月1日。
そして4月末、岩手34号はついに刈り取りの時を迎えました。
4月28日、収穫した種籾と共に石垣の人々が花巻空港に入った時、岩手の人々が日の丸の小旗を振って迎えたそうです。
●「かけはし」、そして「南雪」
石垣から持ち帰った種籾はすくすくと育ち、その年は大豊作になりました。岩手34号は石垣島との交流を記念して
「かけはし」と名付けられ、「ひとめぼれ」と並ぶ岩手の代表的な米になりました。
石垣の米作りも岩手の技術を得て格段に進化し、苗の病気も岩手の指導で根絶できました。
それ以来、岩手と石垣は交流を行い、マラソンやホームスティなどはかなり盛んなのですが
(石垣マラソンには、がんばれ岩手!ののぼりがいっぱい!)、岩手サイドでは「石垣ありがとう」ニュースがいっぱい流れた反面、
石垣サイドではほとんど流れなかった為、残念ながら石垣ではこの話はあまり知られていません。
そんな訳で立ち上がったのが請福酒造の専務・漢那さん。「感謝の気持ちへの感謝」で、かけはしで泡盛を作り、
岩手に持って行こうと企画しました。そして4年後、泡盛が完成。
岩手で公募したネーミングは千通の中から「純情泡盛・南雪」に決定しました。
1999年1月、岩手のデパートでの「南雪 発表・新発売会」には、岩手の人々は勿論、岩手の全マスコミも取材に集まったそうです。
●その後のかけはし
2005年の現在、岩手で「かけはし」を作る農家が減ったため、南雪は作られていません。
今後は古酒として販売されるようです。生産がまた増えたら製造再開するかもしれませんね。
石垣島・請福酒造 泡盛博物館も併設されています。
■さとなおさん 私が南雪の誕生に関して、ここまで詳しく知ったのは最近のことです。
人に聞いた話にもよりますが、今回はさとなおさんの本で詳しく知りました。
「沖縄上手な旅ごはん」 2005.6.10発行 文芸春秋 571円
前作の「沖縄やぎ地獄」をはるかに越えた楽しい文章力で、宮古・石垣・小浜・波照間の島々が
メインとなっています。かなり楽しくて、かなり勉強になりますよ。
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