| 車は左、人は右 今年はナナサンマル30年 |
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覚えていない人はいないハズ。ナナサンマルは世紀の一大事業でした。 あの懐かしい大騒動から30年が経ちましたね。 沖縄の施政権返還に伴なう交通方法の変更は、 返還6年後の1978年7月30日午前6時、県内全域で一斉に実施されました。 ![]() 戦前の沖縄は左側通行でした。しかし、沖縄戦が終わった直後の1945年6月24日に、 アメリカによって右側通行に変更されました。 復帰後も6年間続いた右側通行でしたが、1949年のジュネーブ国際会議の「交通条約」によって、 1978年7月30日午前6時をもち、沖縄県全域で左側通行に変更される事となり、 ここに世紀の一大プロジェクトが始まりました。 (この条約の附帯議定書により、日本が将来加盟することは認められましたが、 この時点で会議には出席していません。 未だ国際社会の一員としての認知を受けていませんでしたから。 交通条約のみの加入で、日本が加盟するのは1964年、そう、東京オリンピックの年です。) 前日29日の22時からは、沖縄県全域で自動車の通行が禁止され、 翌30日午前6時までのわずかな時間に、県内すべての道路標識や道路標示等が 一斉に切り替えられました。 まだまだのどかで、信号機もほとんど無かった石垣島での標識変更が 5000本だったと言いますから、本島では気の遠くなるような数だったはずです。 警視庁をはじめ、交通整理などに来た応援警官は2815名。 県民に対しては “730キャンペーン” を行って周知徹底に努め、 テレビでは当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったカンムリワシこと具志堅用高が、 「ヒトはぁ〜右! 車はぁ〜左! と言ってジャブをするCMが流れていましたし、 “みんなでスタート730” のロゴが入ったポスターのモデルのおねーさんが ノーブラだったりしたもんだから、それはそれで、青少年には更なる反響を呼びました。 今、役所や会社で、ちょっと奥のほうに居られる方は、 あのポスターに魅入った、当時の青少年だはずです(笑)。 しかし、いくら周知したところで、ヨーイドンで急発進するのが今回の変更。 たぶん、那覇では事故を心配したでしょうが、のどかな石垣島では 多くの農家が馬車を使用していましたから、交通課の巡査が馬の指導にも回っていました。 人が騎乗した馬は立派な軽車両ですから。 「馬が熱を出すと、熱冷ましにビールを飲ませているけどよ。 したら、馬も飲酒運転で捕まるんかね?」 「馬は自転車と同じ軽車両であるし、しかし、自転車は酒を飲まんし・・・。うーむ・・・。 酔った馬はブレーキが壊れた自転車と同じと考えて、だな。 道路交通法に則り、整備不良で違反!」 そしてやってきた730当日。眠れない夜を過した多くの県民と見物人が、 変更の瞬間に立ち会いました。5時55分、車は右から左に移動して待機。 6時、沖縄県警察本部長の呼びかけで一斉にスタートしました。 「交通方法を変更する。以後は、車は左、人は右となる。」 それがナナサンマルです。 You Tube ナナサンマルの動画はこちら 記事掲載元(8月発行予定・大好き沖縄)はこちら |